一世一代の“大勝負ヌード”の明暗
何事も勝ち組と負け組が存在します。
裸一貫の勝負も例外ではありません。
プライドと体を張って挑んだ一世一代の大勝負が裏目に出るケースもあるのです。
ヘルス嬢に扮した常盤貴子の体当たり“艶”技
ヌードをキッカケに勝ち組に転じた代表格といえば常盤貴子でしょう。
現在は人妻として熟女ムードたっぷりですが、彼女のブレイクのキッカケとなったのが、93年に放送されたフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」でのヌードだということは周知の事実。
カード地獄に堕ち、借金苦から風俗嬢に転落する女子大生役を演じた常盤は、絶品お椀形乳房のバストトップもあらわに、寺脇康文に激しく揉まれるという体当たり“艶”技をかまし、その肢体を男性視聴者の脳裏に深く焼き付けたのでした。
1年後に放送された「カミング・ホーム」でドラマ初主演を果たすと、翌95年にはヒロインを演じた「愛していると言ってくれ」が大ヒット。
あのヌード映像も封印されていて「もう脱ぐわけがない」のに、脱げる度胸のある女として認識されたことが彼女への期待値=人気となって表れました。
CMでの谷間コスプレなどでその片鱗を見せるなど、我々世の男たちをパブロフの犬にすることに成功。
常盤にとっては棚からオッパイ、乾坤一擲のヌードだったわけです。
遺恨渦巻く藤田朋子のヘアヌード闘争
一方で、ヌード絡みのトラブルが芸能活動の逆風になったケースもあります。
藤田朋子といえば、88年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「ノンちゃんの夢」でヒロインを演じてブレイク。
さらなる活躍が期待される中、96年に写真家・荒木経惟氏とのコラボでヘアヌード写真集「遠野小説」を発表しますが、これが大騒動へと発展します。
藤田サイドは一部の過激なカットに対し、「外には出さないとプロデューサーと約束した」と主張し、出版社を相手どり出版差し止め訴訟を起こしたのでした。
結果的に請求が認められたとはいえ、記者会見ではカメラマンやプロデューサーに対する誹謗中傷に終始。
報道陣の質問に答えるどころか、なぜか英語で「出て行け!」と絶叫し、会見場をドン引きさせる始末に。
結局、その強烈さゆえ貼られた“ヤバイ女優”のレッテルは二度と剥がされることはありませんでした。
数少ないレギュラー番組だった「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)シリーズも完結し、最近ではアコーディオン奏者の夫を伴い、英語の歌を披露し茶化されるなど、バラエティでもすっかり色モノ扱いの落ち目っぷりに…。
菅野美穂が号泣したNUDITY記者会見
同じく、記者会見場を凍らせたといえば菅野美穂ですが、彼女は藤田と違い、「できる女優」として確実にキャリアアップし、2013年4月には俳優・堺雅人とゴールイン。
ヌード写真集は80万部を超える特大ヒットにも関わらず、記者会見で号泣する姿は、視聴者の目には彼女が被害者に映ったのでした。
当時は一肌脱いだ理由として、事務所の借金を返すためだったとも囁かれたりしましたが、真相は依然として藪の中。
意図せずしてか、どこか背徳感のある雰囲気が漂う忘れられない作品に仕上がりました。
また、本人も「女優として限界を感じていた」と当時を振り返っていますが、あの写真集を経て、女優として一皮剥けたのは大きかったといえます。
20歳での“脱皮”は、まさに「倍返し」で女優キャリアの糧となったわけです。